いろんなお仕事・バイト職業図鑑

ブラック仕事も儲かりそうな楽しい仕事もいろんなお仕事・バイトの体験記です。

荷揚げ屋という仕事

仕事というのは何であれ、大なり小なり頭を使うものだ。とび職や大工のような肉体労働でも、考えることなしには成立しないだろう。
 
ところがだ。おれが30年近く続けている「荷揚げ屋」という仕事には、考えるという作業がまったく必要ない。小難しい技術もいらない。
そこに求められるのはただひとつ、力だけだ。
何も考えず何も悩まず、ただひたすらに腕力を発揮させれば賃金がもらえる。それも決して安い額ではない。月収50 万、いやもっと頑張れば、70万にだって手が届くのだから。自分で言うのも何だが、ずいぶんと爽快な話だ。
 
いったい荷揚げ屋とはどういう仕事なのか。さっそく皆さんにご紹介しよう。

1985年。四国の高校を卒業したおれは、プロのギタリストを夢見て東京にやってきた。
しかし、現実は残酷だ。己の才能のなさを早々に思い知らされ、音楽の道を断念。その後は定職にも就かず、かといって田舎に帰る気もなく、バイトで食いつなぐフラフラとした日々を過ごしていた。
 それから6年。24才になっても相変わらずうだつの上がらない生活を送っていたある日、たまたま訪れた職安で、おれは気になるバイト求人を見かける。
 職種「荷揚げ」
 条件「出勤シフト自由、給与・1日2万円以上可、日払い可」
 なんだこりゃ? めちゃくちゃ好条件じゃん!
 にしても何なんだ、荷揚げって? 字面からは、荷物を揚げる仕事のようだが。港湾関係か?
 さっそく職員に面接の段取りをお願いし、翌日、指定された事務所へ。
 応対してくれたのは人の良さそうなメガネのオッサンだ。顔は貧相だが、腕が異様にゴツく、胸板もシャツの上からわかるほど盛り上がっている。
 持参した履歴書にはほとんど目も通さず、彼は話し始めた。
「荷揚げの仕事は初めて?」
「はい」
「だよね。簡単に言うと、資材運びの専門業者ってところかな」
ビルやマンションといった建築現場では、内装業者が床や壁を取り付ける。その資材となる石膏ボードなどを、内装業者に代わってエッコラセと運び込むのが仕事らしい。
「え、それだけなんですか?」
「というと?」
「えっと、トラックを運転したりだとか、何かを組み立てたりとかいった作業は…?」
「ないない。ホントに資材を運ぶだけだよ」
 マジか。運ぶだけって、バカでもできる仕事じゃん!
 さらにオッサンは言う。
「決まった量の資材を運ぶだけだから、現場によっては昼前に仕事が終わっちゃうこ
ともフツーにあるよ。そういう場合は続けて次の現場に行くもよし、そのまま帰るも
よし。ま、現場ごとに給料が発生するから、しっかり稼ぎたいなら数をこなすことを勧
めるけどね」
 会社から仕事をもらうには、働きたい日の前日までに電話を入れればOKで、出勤
日数もほぼこちらの都合で決めていいらしい。とことんユルユルだな。
 一通り説明を終えてから、オッサンがタバコに火をつけた。「どう、やれそう?」
 こんな話を聞いて、どこに不安要素があるってんだ?
「はい、大丈夫です」
 オッサンが苦笑いする。
「まあ、とにかく頑張ってみてよ。最初の1カ月さえ乗り越えたら、あとは大丈夫だから」
 いま思えば意味深な言動ではあるが、このときのおれはそのことにまったく気づいていなかった。初出勤は面接の数日後に訪れた。
 朝7時にいったん会社へ足を運び、同じ現場に配置された先輩たち2人と合流。それから電車で仕事に向かう。
 到着したのは、3階建て18戸の小規模マンションの建築現場だ。見たところ6割方は完成しており、現在は内装関係の工事が行われているっぽい。
 ボーっと現場の様子を眺めていると、先輩から声が。
「そろそろ仕事に取りかかるぞ」敷地内には1台のトラックが停まっており、荷台には畳より一回り大きなサイズの板が何枚もうず高く積まれている。
「あれが石膏ボードね。ざっと600枚あるかな」
 仕事の段取りはこうだ。まずはトラックのボードをマンション1階の各部屋の中に運び込む。部屋の間取りによって枚数は異なるが、1部屋につきだいたい26枚〜36枚だ(これを間配りという)。
 それが終われば残りのボードをすべて、トラックから1階の工事用エレベータの前に移す(仮置きという)。あとはエレベータで2階に持って上がり、そこを拠点に2階の各部屋へボードを間配り。3階の作業も同様だ。
説明を聞くにつけ、笑みがこぼれそうになった。バカみたいに簡単な仕事じゃないか。
 事実、先輩2人はこの現場を昼までに片づけ、午後からはそれぞれ別の現場に向かうという。そうするともらえる日給が増えるのでオイシイんだそうな。ふうん、なるほどな。 3人でぞろぞろとトラックのそばまで行くと、先輩がクルっと振り向いた。
「このボード、(厚さが)12・5ミリだから、一度に4枚運ぶのが基本なんだけど、おまえ新人だし、2枚でいいよ」
「え、何でです? 自分も4枚でいいっすよ」
「いいから無理すんなって」
 別に虚勢を張ったつもりなどない。これでも中高時代は柔道部で鳴らした身。4枚くらいなら平気だ。
「じゃ、この2枚持ってみなよ」
 先輩に手渡された瞬間、思わずボードを落っことしそうになった。お、重い!
「こ、これ何キロあるんですか」
「1枚約15キロあるから30キロか。どう?」
「…めっちゃ重いです」
「だろ? 最初はみんなビックリするんだよ」
 そう言って先輩は荷台から器用に降ろした6枚のボードを、お姫様抱っこのフォームで持ち上げ、平然と歩いていく。
 別の先輩は何と8枚だ。120キロ! マジかよ、化け物じゃん!
 とりあえずおれも見よう見まねで作業を始めることに。2枚のボードをお姫様抱っこのフォーム(横持ちという)で持ち、先輩たちの後を必死に追う。
 その後の4時間、2度ほど休憩(各10分)を挟んだ以外は、ひたすらボードを運び続けた。このときの感想を言うなら、「地獄」の他にテキトーな言葉が思いつかない。
 最初のうちは何とかボードを支えることはできていたのに、マンションのあちこちを行ったり来たりしているうちに全身が悲鳴を上げ始めたのだ。
 中でも腕は、ボードを運んでいないときでもブルブル震えるようになり、手袋を取
れば、つぶれて出血したマメが。最終的にはどれだけ踏ん張っても、ボードが1セン
チも上がらなくなるのだから恐ろしい。文字どおり、体の限界を超えたのだ。

 案の定、その後の2日間は、布団からほとんど出られなかった。身のちぎれるよう
なひどい筋肉痛に襲われ、コップさえまともに持てなかったほどだ。

想像を絶する過酷さに一度は「こんな仕事辞めたる!」と意を決したものの、すぐに思い直した。
こんなにシンプルで、しかも1日に2万以上も稼げる仕事など滅多にあるもんじゃ
ない。
 日給2万の話が出たついでに、荷揚げ屋の詳しい給与体系を記しておこう。
①朝から夕方までの現場=日給8000円
②朝から昼までの現場=6000円
③ ②の後、別の現場で夕方まで働く場合=1万円
④夜勤=1万3000円
 あくまで①〜④は基本の勤務スタイルで、実際はこれらをかけ合わせて働く連中も多
い。たとえば③と④を組み合わせれば1日に3現場こなすことになり、日給も2万3000円となるわけだ。
 ややビビりつつ会社に仕事の予約を入れ、おれが次に向かったのはまたもやマンションの建築現場。運ぶ資材も石膏ボードが中心で(他には石膏ボードより重いパーチク
ルボードなど)、最初の現場と仕事内容はほとんど同じだ。唯一、あのときと違うの
は作業が昼で終わらず、夕方までたっぷりあることだ。
 つまり作業量が初回と比べて倍に増えたわけだが、この日は死にそうになりながら
も最後までなんとか仕事をこなせた。ただし翌日は、発熱を伴う猛烈な筋肉痛に襲わ
れ、1日中、寝込むハメになったが。
 心底おれがビビったのは、その次の現場だった。
 作業内容は、スーパーハードと呼ばれるボード(1枚約20キロ)を4階建て新築ビルの最上階まで運搬するというもの。担当量はおれを含むスタッフ2名で240枚あったのだが、あろうことか、工事用エレベータの不調で急遽、階段を使わざるを得なくなったのだ。
 とりあえずおれは2枚持ち、もうひとりの中堅スタッフは4枚持ちで作業を始めた
ものの、わずか5往復目ではやくも異変が。
 いきなり心臓がバクン! と音を大きな立て、その場から一歩も動けなくなったのだ。そのうち視界もグラグラと揺れだして…。
 結局、その場でしばらくジッとしていたところ、どうにか体調は回復した。が、こ
れは単に運が良かっただけ。心臓発作で死んでいても不思議じゃないのだ。
 この仕事、マジでハンパねえな。わかり切った事実を、おれは改めて思い知らされ
たのだった。 しかし、ハンパなくすごいのは人間の適応能力とて同じだ。現場の数をこなしていくうちに、グングン体が慣れだし、2カ月も経つころには週6日ペースでバリバリ働けるようになっていた。さらに体の調子がよければ、1日に2現場や3現場をこなすことも。もはや完全に一皮むけたといっていい。
 ただし、体がラクになったのは慣れのせいだけではない。ボードの持ち運びに関するテクニックを会得したこともかなり大きかった。
・背持ち(板をおんぶするようなフォーム)
・ツバメ返し(板を担ぎながら横持ちから背持ちへチェンジ、あるいはその逆)
パーマン置き(背持ちの状態のまま板を積み上げる)
 細かいコツのようなものまで含めれば、他にもまだたくさんあるが、いずれにせよこれらのテクニックをマスターしたおかげで、使う筋力を最小限にとどめることが可能になったわけだ。
 ちなみにこうしたテクニックは、先輩たちの動きを観察して自分で盗んだもので、誰かに教えられたのではない。
 そもそも会社にいる先輩は、新人に仕事のいろはを教えず、ほったらかしにする連中ばかりなのだ。
 いつだったかその理由を尋ねてみたところ、先輩のひとりがこんなことを口にした。
「だってさ、20人新人が入ってきても、1か月後には7人しか残ってないような仕事
なんだぜ。バックれるのがわかってて、仕事なんか教えるわけないじゃん」
納得だ。おれに言わせれば、荷揚げの世界に定着する人間もソートーに変わった人間が多い。
ギャンブルにハマって借金なんてタイプは腐るほどいるし、頭が悪すぎて、とび職や大工のような職人になれなかった不良くずれもザラ。しかしもっとも目立つのは筋肉自慢、力自慢の類だろう。
 どの現場に行ってもやたらとバカ持ち
(ボード12枚など、普通なら誰もやらない量を持ち上げる行為)をやって力を誇示したり、逆にバカ持ち野郎を過度に尊敬したり、とにかくパワーに対する信仰がめちゃめちゃ熱く、ハタから見ているとアホ丸出しなのだ。
 とはいえ、このパワー信仰が原因で、荷揚げ屋が建築現場で他の職人から一目置かれているのも事実だ。
 荷揚げ屋は内装業者の資材だけでなく、とび職が使う足場材を運ぶこともあるので、
連中との接触もよくあるのだが、一度、おれはこんなシーンを目撃している。
ある現場で、とび職同士がケンカ沙汰を起こした。何でも一方はヤクザくずれの男で、もう一方は若い時に殺人未遂の罪を犯したムショ帰りらしく、周囲の人間がいくら仲裁しても互いに威嚇を止めようとしない。
 そこへ、見かねた荷揚げ屋の先輩が割って入った。体格こそレスラーのようでも、性格や顔つきは温厚そのものといった人だ。
「みんな迷惑してるし、いい加減止めませんか」
「……」
「お願いしますよ、ね。持ち場に戻りましょう」そんな感じで先輩がなだめたところ、とびの連中がなんとすんなりと引き下がったのだ。
 運搬しか能のない荷揚げ屋は、本来、建築現場の職人ヒエラルキーのなかでは最下層に位置する。事実、心の中で荷揚げ屋をバカにしている職人も多いらしいが、それ以上にそのバカ力を恐れてもいるのだ。あいつらを怒らせちゃヤバいぞと。
 そういう意味でも荷揚げ屋は、特異な存在と言えるだろう。
「運ぶ」という作業だけで20数年間
 ここでまた少し、カネの話をしよう。日給2万以上の条件に釣られてこの世界に入
ったおれだが、最初の1年で日給が2万を超える、つまり1日3現場をこなせたのは月平均5日くらいでしかなかった。月収でいえば30万前後といったところか。

そもそも夜勤の数自体が多くないため、そこまで頻繁に1日3現場もこなせないのだ。
 状況が大きく変わり始めたのは3年目に突入し、給与条件が大幅に改善されてからだ。
①朝から夕方までの現場=1万2000円
②朝から昼までの現場=9000円
③ ②の後、別の現場で夕方まで働いた場合=1万4000円
④夜勤=1万9000円
 1日に3現場をこなせば、3万3000円もゲットできるようになったのだ。
 なぜにこれほどアップしたのか。理由は、荷揚げ屋の離職率の高さにある。入社1カ月目の壁を突破した者でも2年目が終わるころにはほとんどがこの世界を去っていく。
そのため、キャリア3年以上のベテランは存在価値が高まるのだ。
会社側からすれば、ある程度のレベルで仕事をこなし職長(他の作業員を指揮する班長)も任せられる人材は好条件を提示してでも引き留めたいと考えるのは当然である。
 しかもベテランになれば、他にもオイシイことが。
 通常、現場に派遣される荷揚げ作業員の数は、内装屋などの発注側が決めている。
この現場の作業量なら6人は必要、あの現場なら2人で十分といった具合だ。
 当然、発注元はお願いした人数分の人件費を計上するわけだが、必ずしも荷揚げ屋はその人数どおりに作業員を派遣しない。
仮に受注した作業員数が6人でも、仕事内容から半分の人員でこなせると判断すれば3人しか送らない。で、派遣されたその3人には6人分の給料が。つまりそれぞれの日当が倍になるわけだ。
常に人手不足な荷揚げ屋業界では、こういう事例がしょっちゅうある。そして、こういうオイシイ仕事が優先的に回ってくるのは、もっぱらベテランなのだ。
また、担当する現場のタイプをおおむね自分の意思で決められるのもベテランの役得だろう。1日2現場や3現場の回数を簡単に増やせるようになるのだから。
そんなわけで3年目以降の月収は平均50万前後に。さらに年度末の繁忙期では、ときに70 万の大台を超えることさえあった。
それから現在にいたるまでの20数年間、途中に何度か景気の浮き沈みもあったものの、おおむね安定した収入を得続けてきた。何も考えず、ただただ「運ぶ」という力作業だけで。
贅沢は思ったほどできていない。忙し過ぎて使うヒマがなかったからだが、口座の金額が徐々に増えていくのを見るのは、それはそれで楽しいものだ。
★ 荷揚げ屋の世界では、キャリア5年くらいで独立するのがひとつのパターンになってるが、おれにはまったくそんな欲がない。会社経営なんてメンドーなことをするより、シンプルに資材を運んでいる生活の方が性に合っている。
 が、そんな生活もいつまで続けられることやら。実は先日、腰の治療に整体へ行ったところ、現れた先生が仰天したのだ。
「普段、どういう生活してるんですか?こんなに体が歪みまくってる人、初めて見ましたよ」
長年蓄積してきた体への負担が、目に見える形で表れているようだ。
ま、そうは言っても、食っていくには荷揚げ屋しかない。いずれぶっ倒れるその日まで、続けていくつもりだ