いろんなお仕事・バイト職業図鑑

ブラック仕事も儲かりそうな楽しい仕事もいろんなお仕事・バイトの体験記です。

高収入と噂の死体洗いは本当にあるのか都市伝説か?

巷の疑惑を検証する本特集。

初っばなは「死体洗い」を取り上げてみたい

どこぞの医学部で死体を洗えばウン十万がという、アレだ。

高校の先輩の友達がやった

という間接情報から、「医療関係者だけの極秘募集」といったいかにもな話まで、皆さん一度は聞いたことがあるだろう。

が、現在、この噂は多くの専門家によって否定されている。

大半の都市伝説本か荒唐無稽なフィクションと断定、「バカの壁」の養老猛司は「初めて聞いた」と首をかしげ、その弟子にあたる布施英利に至っては「これまで一度もなかったし、これからもない』とバッサリ。

同じ否定を繰り返す徹底ぶりだ。念のため都内某大学医学部にも間い合わせてみたが、あるはずがない。解剖学の実習で扱うご遺体は、篤志家の方かりの献体なんですよ。ちゃんと法律に基づいていますから、外部の人問にそんな仕事をやらせること自体がありえません

この後、さらに8校の医学部に尋ねても、みな同じ答だった。やはり噂は噂でしかないのか?実は、今回の取材で、私は死体洗いの実在を確信するに至った。あの伝説のアルバイトは本物だったのである・

まずは、噂の出所から検証してみたい。多くの都市伝説本が引き合いに出すのは、1958年に大江健三郎が書いた短編小説「死者の客り」だ。
アルコール水槽に保存されている、解剖用死体を処理する仕事のアルバイターを募集している掲示板を見るとすぐ、医学部の事務室へ出かけていった
有名なシーンだが、実は、科学的にはメチャクチャらしい。

アルコールは常温で気体になってしまうため、ーカ所にため込むことはできません。


米軍基地から生まれた死体洗い伝説は、「死者の書」から2年後の1960年、ベトナム戦争が始まったころにも嘱かれた
ベトナム戦争当時は、九州や沖縄だけでなく本土各地の米軍基地でも(戦死体が)処置されていた・・」
自然に考えれば、50年代後半、神奈川県で浪人生活を送っていた大江健三郎が、近隣の米軍基地から漏れ聞いた話を小説に使ったと結論すへきではなかろうか。

朝鮮戦争で生まれ、大江が広めた死体洗い。

が、まだ重大な謎が残っている。実は、この噂、ベトナム戦争が終わった75年ごろにいったん世問から消え失せ、その後、約10年の空白期間を経て、なぜか80年代後半に再びメディアを賑わし始めたのだ。

その証拠に、「死体洗い」を扱った雑誌を探しても、80年代半ばまでのヒット数が数+件なのに、80年代後半から90年初頭にかけては数百件に激増する

もうーつ、この空白期間の前後で、噂の内容が大きく変化している点も見逃せない。まずは昔のバージョンを見てみよう。
アルコールプールに浮かんでいる死体を棒で突つくバイトがあるんだ、おなかにカスがたまって死体が浮かんできたのを、沈めるんだって最初はプールに落ちそうになったりして大変なんだけど、慣れちゃうと、そこで弁当食ったりするのも平気になるし、ギターひいてるヤツとかもいるみたい


次に、新バージョン。
変わったアルバイト◆死体洗い◆病院での検体管理、つまり死体洗いだ

研究用に保管されている死体は、塩素などの化学薬品に浸されている

その薬品を洗い流す仕事だ。薬口叩の臭いで気分が悪くなり、仕事を始めて30分で吐いてしまうケースが多い。

体中の毛穴といっ毛穴に薬品が詰まり、2、3週間は臭いがとれない、10日間ほど働いた経験のある人は「視カが落ちたと語る(報酬は私立大病院の場合、ー日8時間ほど働いて約10万円と超高額だ

病院と死体という要素は同じだが、前者があくまで「死者の書り」のアレンジ版なのに対し、後者は化学薬品の洗浄に変わり小説にはなかったデゴールが加わっている。いったい、80年代後半に何が起きたのか?
謎の手がかりは月刊「サピオ」、死体ビジネスの現状を追った特集の中にあった。年間2万体を公然と商う
一人体ショッフ!の驚樗身元不明の死体から骨格標本を作り、各国の医療機関に売りさばくビジネスが横行している。
標本を販売する死体ビジネスの大手に成長した、
まさに噂の復活と同時期に、世界中では新手の死体ビジネスが盛り上がりを見せていたらしい。骨格標本作りには、遺体の洗浄が不可欠。これこそ、起源ではないのか?推測を確かめるべく、各医療関係者へ聞き込みを始めたところ、東京・杉並区にベインクリニックを開くW氏から、驚くべき証言が得られた。

「84年の夏ごろ、病院関係者の間で、変わった標本業者が話題になりました。『日本の会社が、海外で仕入れた人骨を安く売ってるようだ」って

なんと、日本国内にも死体ビジネスを扱う会社が存在したといっのだ。

「そのうち、私の所にも営業が来ましてね。H社だったかな?確かに相場より安かったんで、頭蓋骨の標本をー個買いました。購入記録に住所が残ってますから、行ってみたらいかがですか?」

氏の帳簿によれば、H社は新宿の雑居オフィスに居を構えていたらしい。とりあえずビル管理会社へ間い合わせてみよう。

「あー、Hさんは5年前にテナントを降りてますね。事業に失敗したと聞きましたけど・・」

次に、ダメ元で標本購入者専用のフリーダイヤルをプッシュ、電話口に現れた責任者の男性に用件を伝えたところ、

「H社ですか?あそこはいま休眠状態ですよ。連絡先をお教えしましょうか」

何でも、責任者氏はH社の元代表である上沼氏(仮名)と長い知り合いで、この番号も彼から譲り受けたものだという。教わったメールアドレスに取材依頼を送ってみた。返事は期待していなかった。

しかし、『お間い合わせありがとうございます。ただいま私的な事情で自宅から出られませんので、メールでお話したく思います」

『実は、当時の商品画像が残っているんですよ。それから見ていただくことにしますか

氏が送ってきた添付ファイルは、茶褐色の頭骨を撮影した画像データだった。小ぶりな顎とキレイに生えそろった永久歯。全体的に、かすかな湿り気を帯びているようだ。それは脂肪分です。死体の洗浄が甘いと残ってしまうんですね。最初のうちは、虫が湧くこともあって苦労しました」

氏が死体を扱い始めたのは1983年のこと。自ら立ち上げた医療器具の販売会社を拡大すべく、国内で珍しかった骨格標本に手を出したといっ。

『本物の人骨を使った標本は、それまで数百万もしたんです。でも、死体の入手から輸出まで自分でやれば、ー体数十万ほどに値段を抑えられるんじゃないかと」死体の入手に向かったのは、インド南部のビハール州に建つ病院だった。世界で最も貧しい土地のーつで、州の産業として死体販売が行われている、いわくつきのエリアだ。料金は1体約400ルピー(約800円)。大半は40代の中年男だが、中には10代前半の若い遺体もあったらしい。『ほとんどの死体は、内臓を抜き取られた状態でした。事前に臓器売買の業者が持っていったんでしょうね』

素材が手に入ったら、病院内で遺体の解体作業に移る。まずは日本から持ち込んだ花王のバイプスルーを水槽に注ぎ込み、その中に放置。時々、竹竿で突いて沈めながら数時間ほど待つ。次に、引き上げた遺体の筋肉をピンセットでつまみ、溶けた部分からハブラシやカミソリでこそげ落とす。最後にもう一度水槽に沈めて漂白すれば完成だ。「慣れるまでは吐き気との戦いです。塩素の臭いが体わりついて、死体から塩素系洗浄剤を洗い流し、全身に薬品の臭気がこびりつく。噂と全く同じ光景ではないか

「確かに、噂は私から広まったのかもしれません。実は、遺体洗浄員募集の広告を出したことがあるんです。スポーツ新聞の三行広告に小さくですけどね。大声で人に言える仕事ではありません