いろんなお仕事・バイト職業図鑑

ブラック仕事も儲かりそうな楽しい仕事もいろんなお仕事・バイトの体験記です。

ゴルフ場でロストボールの回収をするゴルフボールダイバーじつはめっちゃ稼げる

ゴルフ場の池ポチャロストボールを拾って月に100万稼げるなんて言ったら信じられないだろうか?

ゴルフボールダイバーは、
ロストボールの販売を手がけるゴルフショップと契約を結んでいるゴルフ場に雇われるパターン。
個人的にゴルフ場と契約するフリーのパターンに分けられる。

違いは、拾ったゴルフボールの販売権。
雇われの仕事はボールを拾い集めるだけ。ボールの洗浄、選別、販売は雇い主がやる。
フリーは回収から販売まですべて自分でやらなきゃいけない。

もちろんフリーの方が稼ぎは良くなる。

ボール回収作業のスタートは、基本、ゴルフ場の閉まる夜7時ごろからかオープン前の早朝。
池に潜るので潜水士の資格が必要だ。

1回4時間、週に2度の回収作業で取れるボールは1万球ほど。
それを専用の洗浄機で洗う。所要時間は1万球で100分だ。
最後はいよいよ販売だ。
ロストボールはメルカリ、ヤフオクAmazonに出品すれば飛ぶように売れる。
稼ぎのポイントは売れ筋のボールをどれだけゲットできるか。
1万球の中で売り物になるのが半分の5千球くらいだ。

ゴルフ場によってはボール回収手数料を徴収するところもあり、またゴルフ場までの移動費、潜水にかかる費用は経費になるがそれを差し引いても割の良い仕事だろう。
お金以外で魅力なのは、個人行動できる点。
人間関係のストレスは一切ない。

集団行動が苦手な方はチャレンジしても良いかもしれない。
潜水士の資格は受験料1万円程度のペーパーテストのみで取得できる。

コロナ関連のバイトは総じて時給が高い

コロナ不況のせいで、シフトが減った、仕事がなくなった。そんな不幸に見舞われた方は日本全国にいらっしゃることでしょう。
 
実は私も、長年に渡り居酒屋のホールをしていたのですが、
昨年1月、人員整理でクビになってしまいました。
 
酒を提供できなくて、お客様が来ないのだから仕方ありませんね。
 
そんな折、次はどこで働こうかと求人サイトを眺めていたら、ある文言が目に留まったのです。
『コロナワクチン接種の予約受付』
 
ふーん、ああいう業務もバイトを雇ってるんだな〜、と思いながら、画面をスクロールしてビックリ。なんと時給が1500円とかなりイイ金額だったのです。
 
さっそく応募して実際に働き始めたのですが、これが本当に最高の仕事でした。時給は高いし、業務は楽だしで言うことなし。
 
今回はそんなコロナに関するバイトの実情をご紹介しましょう。
私は現在まで、2つの異なるコロナ関連バイトをやってきました。
 
まず1つが先ほどの「ワクチン接種の予約受付」の電話業務です。 
求人サイトで「コロナ ワクチン 予約」といったワードで
検索すればいくつも見つかるでしょう。
 
具体的な業務内容は、かかってくる予約の電話を受けるという、いわば電話番のような仕事です。
 
もちろん私は、その手の仕事をしたことのない全くの未経験。
ですが、求人サイトから応募すると、人手不足のおかげで、書類を送っただけで即採用されたのです。
1日の流れは以下のとおり。
 
朝8時30分に出社したら、電話が何十台も並んだ部屋に入室して、かかってくる電話を取ります。 
うちの会社では、行政から電話業務だけを下請けしていたので、市民から直接電話がかかってくるのです。
「〇月×日にワクチン予約を取りたい」や「接種券をなくしたので再発行したい」といった内容の電話を、マニュアルどおりに対応していきます。
 
中には「オイ! いつになったらワクチン打てるんだよ!」
とブチ切れる相手もいましたが、基本はネットが使えない高齢者が相手なので平和なもんです。 
たとえ難しい質問を投げかけられても、私は専門の職員につなぐだけなので、本当にマニュアルまんまに動くだけ。

 

昼休憩を挟みながら夕方5時まで働き、時給が1500円なので1日あたり1万2千円の収入です。体力も使わずに、電話を受けるだけの単純な業務なので、正直めっちゃ美味しい仕事です。 
ところが、この仕事は半年間の期間限定の募集だったため、結局辞めざるを得ませんでした。
 
できることならもっと続けたかったのに!

残念です!予約バイトを辞めてからは、現在まで、街にあるコロナの抗体検査場でアルバイトをしています。
ほら、繁華街とかで見たことありませんか?
「即時抗体検査 30分で結果がわかる!」といった看板が出ている店です。
 
求人の探し方は先ほどと同じくネットで「コロナ バイト」
と検索して探しました。
 
なんと時給は先ほどよりも高い1600円。どうやらコロナ関連のバイトは総じて時給が高
いようですね。我々からしたらありがたい話です。
 
そして、仕事の方も同様に、楽チンな内容でした。
 
抗体検査を受けに来たお客様に、必要事項を記入してもらって、検査の手順を説明する、たったこれだけです。
 
実際の検査は、別の専門家がやってくれるので、私はあくまで説明要員。
 
とはいえ、昨年のお盆や年末は、帰省前に検査したい人が殺到して多忙でしたけどね。1日に200人以上が来店し、長蛇の列ができて、てんやわんやの大騒ぎでした。
 
まあ、そんなピークも二週間ほどで収まるので、それ以外のオフシーズンは超ヒマです。1日に30〜80人ほどの来客数でしたから。
 
客がいないときは店の前で、ティッシュを配ったりしてましたよ。ティッシュを配って、書類を書かせるだけで、時給1600円もらえるんですから、美味しいでしょ?
1日に10時間の勤務なので、日当は1万6千円。普通のバイトに比べたら、圧倒的なコスパの良さですよね。
 
この手の、コロナに関連した割のいいバイトは、全国的にあるようなので、気になる人はぜひ探してみてください。

荷揚げ屋という仕事

仕事というのは何であれ、大なり小なり頭を使うものだ。とび職や大工のような肉体労働でも、考えることなしには成立しないだろう。
 
ところがだ。おれが30年近く続けている「荷揚げ屋」という仕事には、考えるという作業がまったく必要ない。小難しい技術もいらない。
そこに求められるのはただひとつ、力だけだ。
何も考えず何も悩まず、ただひたすらに腕力を発揮させれば賃金がもらえる。それも決して安い額ではない。月収50 万、いやもっと頑張れば、70万にだって手が届くのだから。自分で言うのも何だが、ずいぶんと爽快な話だ。
 
いったい荷揚げ屋とはどういう仕事なのか。さっそく皆さんにご紹介しよう。

1985年。四国の高校を卒業したおれは、プロのギタリストを夢見て東京にやってきた。
しかし、現実は残酷だ。己の才能のなさを早々に思い知らされ、音楽の道を断念。その後は定職にも就かず、かといって田舎に帰る気もなく、バイトで食いつなぐフラフラとした日々を過ごしていた。
 それから6年。24才になっても相変わらずうだつの上がらない生活を送っていたある日、たまたま訪れた職安で、おれは気になるバイト求人を見かける。
 職種「荷揚げ」
 条件「出勤シフト自由、給与・1日2万円以上可、日払い可」
 なんだこりゃ? めちゃくちゃ好条件じゃん!
 にしても何なんだ、荷揚げって? 字面からは、荷物を揚げる仕事のようだが。港湾関係か?
 さっそく職員に面接の段取りをお願いし、翌日、指定された事務所へ。
 応対してくれたのは人の良さそうなメガネのオッサンだ。顔は貧相だが、腕が異様にゴツく、胸板もシャツの上からわかるほど盛り上がっている。
 持参した履歴書にはほとんど目も通さず、彼は話し始めた。
「荷揚げの仕事は初めて?」
「はい」
「だよね。簡単に言うと、資材運びの専門業者ってところかな」
ビルやマンションといった建築現場では、内装業者が床や壁を取り付ける。その資材となる石膏ボードなどを、内装業者に代わってエッコラセと運び込むのが仕事らしい。
「え、それだけなんですか?」
「というと?」
「えっと、トラックを運転したりだとか、何かを組み立てたりとかいった作業は…?」
「ないない。ホントに資材を運ぶだけだよ」
 マジか。運ぶだけって、バカでもできる仕事じゃん!
 さらにオッサンは言う。
「決まった量の資材を運ぶだけだから、現場によっては昼前に仕事が終わっちゃうこ
ともフツーにあるよ。そういう場合は続けて次の現場に行くもよし、そのまま帰るも
よし。ま、現場ごとに給料が発生するから、しっかり稼ぎたいなら数をこなすことを勧
めるけどね」
 会社から仕事をもらうには、働きたい日の前日までに電話を入れればOKで、出勤
日数もほぼこちらの都合で決めていいらしい。とことんユルユルだな。
 一通り説明を終えてから、オッサンがタバコに火をつけた。「どう、やれそう?」
 こんな話を聞いて、どこに不安要素があるってんだ?
「はい、大丈夫です」
 オッサンが苦笑いする。
「まあ、とにかく頑張ってみてよ。最初の1カ月さえ乗り越えたら、あとは大丈夫だから」
 いま思えば意味深な言動ではあるが、このときのおれはそのことにまったく気づいていなかった。初出勤は面接の数日後に訪れた。
 朝7時にいったん会社へ足を運び、同じ現場に配置された先輩たち2人と合流。それから電車で仕事に向かう。
 到着したのは、3階建て18戸の小規模マンションの建築現場だ。見たところ6割方は完成しており、現在は内装関係の工事が行われているっぽい。
 ボーっと現場の様子を眺めていると、先輩から声が。
「そろそろ仕事に取りかかるぞ」敷地内には1台のトラックが停まっており、荷台には畳より一回り大きなサイズの板が何枚もうず高く積まれている。
「あれが石膏ボードね。ざっと600枚あるかな」
 仕事の段取りはこうだ。まずはトラックのボードをマンション1階の各部屋の中に運び込む。部屋の間取りによって枚数は異なるが、1部屋につきだいたい26枚〜36枚だ(これを間配りという)。
 それが終われば残りのボードをすべて、トラックから1階の工事用エレベータの前に移す(仮置きという)。あとはエレベータで2階に持って上がり、そこを拠点に2階の各部屋へボードを間配り。3階の作業も同様だ。
説明を聞くにつけ、笑みがこぼれそうになった。バカみたいに簡単な仕事じゃないか。
 事実、先輩2人はこの現場を昼までに片づけ、午後からはそれぞれ別の現場に向かうという。そうするともらえる日給が増えるのでオイシイんだそうな。ふうん、なるほどな。 3人でぞろぞろとトラックのそばまで行くと、先輩がクルっと振り向いた。
「このボード、(厚さが)12・5ミリだから、一度に4枚運ぶのが基本なんだけど、おまえ新人だし、2枚でいいよ」
「え、何でです? 自分も4枚でいいっすよ」
「いいから無理すんなって」
 別に虚勢を張ったつもりなどない。これでも中高時代は柔道部で鳴らした身。4枚くらいなら平気だ。
「じゃ、この2枚持ってみなよ」
 先輩に手渡された瞬間、思わずボードを落っことしそうになった。お、重い!
「こ、これ何キロあるんですか」
「1枚約15キロあるから30キロか。どう?」
「…めっちゃ重いです」
「だろ? 最初はみんなビックリするんだよ」
 そう言って先輩は荷台から器用に降ろした6枚のボードを、お姫様抱っこのフォームで持ち上げ、平然と歩いていく。
 別の先輩は何と8枚だ。120キロ! マジかよ、化け物じゃん!
 とりあえずおれも見よう見まねで作業を始めることに。2枚のボードをお姫様抱っこのフォーム(横持ちという)で持ち、先輩たちの後を必死に追う。
 その後の4時間、2度ほど休憩(各10分)を挟んだ以外は、ひたすらボードを運び続けた。このときの感想を言うなら、「地獄」の他にテキトーな言葉が思いつかない。
 最初のうちは何とかボードを支えることはできていたのに、マンションのあちこちを行ったり来たりしているうちに全身が悲鳴を上げ始めたのだ。
 中でも腕は、ボードを運んでいないときでもブルブル震えるようになり、手袋を取
れば、つぶれて出血したマメが。最終的にはどれだけ踏ん張っても、ボードが1セン
チも上がらなくなるのだから恐ろしい。文字どおり、体の限界を超えたのだ。

 案の定、その後の2日間は、布団からほとんど出られなかった。身のちぎれるよう
なひどい筋肉痛に襲われ、コップさえまともに持てなかったほどだ。

想像を絶する過酷さに一度は「こんな仕事辞めたる!」と意を決したものの、すぐに思い直した。
こんなにシンプルで、しかも1日に2万以上も稼げる仕事など滅多にあるもんじゃ
ない。
 日給2万の話が出たついでに、荷揚げ屋の詳しい給与体系を記しておこう。
①朝から夕方までの現場=日給8000円
②朝から昼までの現場=6000円
③ ②の後、別の現場で夕方まで働く場合=1万円
④夜勤=1万3000円
 あくまで①〜④は基本の勤務スタイルで、実際はこれらをかけ合わせて働く連中も多
い。たとえば③と④を組み合わせれば1日に3現場こなすことになり、日給も2万3000円となるわけだ。
 ややビビりつつ会社に仕事の予約を入れ、おれが次に向かったのはまたもやマンションの建築現場。運ぶ資材も石膏ボードが中心で(他には石膏ボードより重いパーチク
ルボードなど)、最初の現場と仕事内容はほとんど同じだ。唯一、あのときと違うの
は作業が昼で終わらず、夕方までたっぷりあることだ。
 つまり作業量が初回と比べて倍に増えたわけだが、この日は死にそうになりながら
も最後までなんとか仕事をこなせた。ただし翌日は、発熱を伴う猛烈な筋肉痛に襲わ
れ、1日中、寝込むハメになったが。
 心底おれがビビったのは、その次の現場だった。
 作業内容は、スーパーハードと呼ばれるボード(1枚約20キロ)を4階建て新築ビルの最上階まで運搬するというもの。担当量はおれを含むスタッフ2名で240枚あったのだが、あろうことか、工事用エレベータの不調で急遽、階段を使わざるを得なくなったのだ。
 とりあえずおれは2枚持ち、もうひとりの中堅スタッフは4枚持ちで作業を始めた
ものの、わずか5往復目ではやくも異変が。
 いきなり心臓がバクン! と音を大きな立て、その場から一歩も動けなくなったのだ。そのうち視界もグラグラと揺れだして…。
 結局、その場でしばらくジッとしていたところ、どうにか体調は回復した。が、こ
れは単に運が良かっただけ。心臓発作で死んでいても不思議じゃないのだ。
 この仕事、マジでハンパねえな。わかり切った事実を、おれは改めて思い知らされ
たのだった。 しかし、ハンパなくすごいのは人間の適応能力とて同じだ。現場の数をこなしていくうちに、グングン体が慣れだし、2カ月も経つころには週6日ペースでバリバリ働けるようになっていた。さらに体の調子がよければ、1日に2現場や3現場をこなすことも。もはや完全に一皮むけたといっていい。
 ただし、体がラクになったのは慣れのせいだけではない。ボードの持ち運びに関するテクニックを会得したこともかなり大きかった。
・背持ち(板をおんぶするようなフォーム)
・ツバメ返し(板を担ぎながら横持ちから背持ちへチェンジ、あるいはその逆)
パーマン置き(背持ちの状態のまま板を積み上げる)
 細かいコツのようなものまで含めれば、他にもまだたくさんあるが、いずれにせよこれらのテクニックをマスターしたおかげで、使う筋力を最小限にとどめることが可能になったわけだ。
 ちなみにこうしたテクニックは、先輩たちの動きを観察して自分で盗んだもので、誰かに教えられたのではない。
 そもそも会社にいる先輩は、新人に仕事のいろはを教えず、ほったらかしにする連中ばかりなのだ。
 いつだったかその理由を尋ねてみたところ、先輩のひとりがこんなことを口にした。
「だってさ、20人新人が入ってきても、1か月後には7人しか残ってないような仕事
なんだぜ。バックれるのがわかってて、仕事なんか教えるわけないじゃん」
納得だ。おれに言わせれば、荷揚げの世界に定着する人間もソートーに変わった人間が多い。
ギャンブルにハマって借金なんてタイプは腐るほどいるし、頭が悪すぎて、とび職や大工のような職人になれなかった不良くずれもザラ。しかしもっとも目立つのは筋肉自慢、力自慢の類だろう。
 どの現場に行ってもやたらとバカ持ち
(ボード12枚など、普通なら誰もやらない量を持ち上げる行為)をやって力を誇示したり、逆にバカ持ち野郎を過度に尊敬したり、とにかくパワーに対する信仰がめちゃめちゃ熱く、ハタから見ているとアホ丸出しなのだ。
 とはいえ、このパワー信仰が原因で、荷揚げ屋が建築現場で他の職人から一目置かれているのも事実だ。
 荷揚げ屋は内装業者の資材だけでなく、とび職が使う足場材を運ぶこともあるので、
連中との接触もよくあるのだが、一度、おれはこんなシーンを目撃している。
ある現場で、とび職同士がケンカ沙汰を起こした。何でも一方はヤクザくずれの男で、もう一方は若い時に殺人未遂の罪を犯したムショ帰りらしく、周囲の人間がいくら仲裁しても互いに威嚇を止めようとしない。
 そこへ、見かねた荷揚げ屋の先輩が割って入った。体格こそレスラーのようでも、性格や顔つきは温厚そのものといった人だ。
「みんな迷惑してるし、いい加減止めませんか」
「……」
「お願いしますよ、ね。持ち場に戻りましょう」そんな感じで先輩がなだめたところ、とびの連中がなんとすんなりと引き下がったのだ。
 運搬しか能のない荷揚げ屋は、本来、建築現場の職人ヒエラルキーのなかでは最下層に位置する。事実、心の中で荷揚げ屋をバカにしている職人も多いらしいが、それ以上にそのバカ力を恐れてもいるのだ。あいつらを怒らせちゃヤバいぞと。
 そういう意味でも荷揚げ屋は、特異な存在と言えるだろう。
「運ぶ」という作業だけで20数年間
 ここでまた少し、カネの話をしよう。日給2万以上の条件に釣られてこの世界に入
ったおれだが、最初の1年で日給が2万を超える、つまり1日3現場をこなせたのは月平均5日くらいでしかなかった。月収でいえば30万前後といったところか。

そもそも夜勤の数自体が多くないため、そこまで頻繁に1日3現場もこなせないのだ。
 状況が大きく変わり始めたのは3年目に突入し、給与条件が大幅に改善されてからだ。
①朝から夕方までの現場=1万2000円
②朝から昼までの現場=9000円
③ ②の後、別の現場で夕方まで働いた場合=1万4000円
④夜勤=1万9000円
 1日に3現場をこなせば、3万3000円もゲットできるようになったのだ。
 なぜにこれほどアップしたのか。理由は、荷揚げ屋の離職率の高さにある。入社1カ月目の壁を突破した者でも2年目が終わるころにはほとんどがこの世界を去っていく。
そのため、キャリア3年以上のベテランは存在価値が高まるのだ。
会社側からすれば、ある程度のレベルで仕事をこなし職長(他の作業員を指揮する班長)も任せられる人材は好条件を提示してでも引き留めたいと考えるのは当然である。
 しかもベテランになれば、他にもオイシイことが。
 通常、現場に派遣される荷揚げ作業員の数は、内装屋などの発注側が決めている。
この現場の作業量なら6人は必要、あの現場なら2人で十分といった具合だ。
 当然、発注元はお願いした人数分の人件費を計上するわけだが、必ずしも荷揚げ屋はその人数どおりに作業員を派遣しない。
仮に受注した作業員数が6人でも、仕事内容から半分の人員でこなせると判断すれば3人しか送らない。で、派遣されたその3人には6人分の給料が。つまりそれぞれの日当が倍になるわけだ。
常に人手不足な荷揚げ屋業界では、こういう事例がしょっちゅうある。そして、こういうオイシイ仕事が優先的に回ってくるのは、もっぱらベテランなのだ。
また、担当する現場のタイプをおおむね自分の意思で決められるのもベテランの役得だろう。1日2現場や3現場の回数を簡単に増やせるようになるのだから。
そんなわけで3年目以降の月収は平均50万前後に。さらに年度末の繁忙期では、ときに70 万の大台を超えることさえあった。
それから現在にいたるまでの20数年間、途中に何度か景気の浮き沈みもあったものの、おおむね安定した収入を得続けてきた。何も考えず、ただただ「運ぶ」という力作業だけで。
贅沢は思ったほどできていない。忙し過ぎて使うヒマがなかったからだが、口座の金額が徐々に増えていくのを見るのは、それはそれで楽しいものだ。
★ 荷揚げ屋の世界では、キャリア5年くらいで独立するのがひとつのパターンになってるが、おれにはまったくそんな欲がない。会社経営なんてメンドーなことをするより、シンプルに資材を運んでいる生活の方が性に合っている。
 が、そんな生活もいつまで続けられることやら。実は先日、腰の治療に整体へ行ったところ、現れた先生が仰天したのだ。
「普段、どういう生活してるんですか?こんなに体が歪みまくってる人、初めて見ましたよ」
長年蓄積してきた体への負担が、目に見える形で表れているようだ。
ま、そうは言っても、食っていくには荷揚げ屋しかない。いずれぶっ倒れるその日まで、続けていくつもりだ

高収入と噂の死体洗いは本当にあるのか都市伝説か?

巷の疑惑を検証する本特集。

初っばなは「死体洗い」を取り上げてみたい

どこぞの医学部で死体を洗えばウン十万がという、アレだ。

高校の先輩の友達がやった

という間接情報から、「医療関係者だけの極秘募集」といったいかにもな話まで、皆さん一度は聞いたことがあるだろう。

が、現在、この噂は多くの専門家によって否定されている。

大半の都市伝説本か荒唐無稽なフィクションと断定、「バカの壁」の養老猛司は「初めて聞いた」と首をかしげ、その弟子にあたる布施英利に至っては「これまで一度もなかったし、これからもない』とバッサリ。

同じ否定を繰り返す徹底ぶりだ。念のため都内某大学医学部にも間い合わせてみたが、あるはずがない。解剖学の実習で扱うご遺体は、篤志家の方かりの献体なんですよ。ちゃんと法律に基づいていますから、外部の人問にそんな仕事をやらせること自体がありえません

この後、さらに8校の医学部に尋ねても、みな同じ答だった。やはり噂は噂でしかないのか?実は、今回の取材で、私は死体洗いの実在を確信するに至った。あの伝説のアルバイトは本物だったのである・

まずは、噂の出所から検証してみたい。多くの都市伝説本が引き合いに出すのは、1958年に大江健三郎が書いた短編小説「死者の客り」だ。
アルコール水槽に保存されている、解剖用死体を処理する仕事のアルバイターを募集している掲示板を見るとすぐ、医学部の事務室へ出かけていった
有名なシーンだが、実は、科学的にはメチャクチャらしい。

アルコールは常温で気体になってしまうため、ーカ所にため込むことはできません。


米軍基地から生まれた死体洗い伝説は、「死者の書」から2年後の1960年、ベトナム戦争が始まったころにも嘱かれた
ベトナム戦争当時は、九州や沖縄だけでなく本土各地の米軍基地でも(戦死体が)処置されていた・・」
自然に考えれば、50年代後半、神奈川県で浪人生活を送っていた大江健三郎が、近隣の米軍基地から漏れ聞いた話を小説に使ったと結論すへきではなかろうか。

朝鮮戦争で生まれ、大江が広めた死体洗い。

が、まだ重大な謎が残っている。実は、この噂、ベトナム戦争が終わった75年ごろにいったん世問から消え失せ、その後、約10年の空白期間を経て、なぜか80年代後半に再びメディアを賑わし始めたのだ。

その証拠に、「死体洗い」を扱った雑誌を探しても、80年代半ばまでのヒット数が数+件なのに、80年代後半から90年初頭にかけては数百件に激増する

もうーつ、この空白期間の前後で、噂の内容が大きく変化している点も見逃せない。まずは昔のバージョンを見てみよう。
アルコールプールに浮かんでいる死体を棒で突つくバイトがあるんだ、おなかにカスがたまって死体が浮かんできたのを、沈めるんだって最初はプールに落ちそうになったりして大変なんだけど、慣れちゃうと、そこで弁当食ったりするのも平気になるし、ギターひいてるヤツとかもいるみたい


次に、新バージョン。
変わったアルバイト◆死体洗い◆病院での検体管理、つまり死体洗いだ

研究用に保管されている死体は、塩素などの化学薬品に浸されている

その薬品を洗い流す仕事だ。薬口叩の臭いで気分が悪くなり、仕事を始めて30分で吐いてしまうケースが多い。

体中の毛穴といっ毛穴に薬品が詰まり、2、3週間は臭いがとれない、10日間ほど働いた経験のある人は「視カが落ちたと語る(報酬は私立大病院の場合、ー日8時間ほど働いて約10万円と超高額だ

病院と死体という要素は同じだが、前者があくまで「死者の書り」のアレンジ版なのに対し、後者は化学薬品の洗浄に変わり小説にはなかったデゴールが加わっている。いったい、80年代後半に何が起きたのか?
謎の手がかりは月刊「サピオ」、死体ビジネスの現状を追った特集の中にあった。年間2万体を公然と商う
一人体ショッフ!の驚樗身元不明の死体から骨格標本を作り、各国の医療機関に売りさばくビジネスが横行している。
標本を販売する死体ビジネスの大手に成長した、
まさに噂の復活と同時期に、世界中では新手の死体ビジネスが盛り上がりを見せていたらしい。骨格標本作りには、遺体の洗浄が不可欠。これこそ、起源ではないのか?推測を確かめるべく、各医療関係者へ聞き込みを始めたところ、東京・杉並区にベインクリニックを開くW氏から、驚くべき証言が得られた。

「84年の夏ごろ、病院関係者の間で、変わった標本業者が話題になりました。『日本の会社が、海外で仕入れた人骨を安く売ってるようだ」って

なんと、日本国内にも死体ビジネスを扱う会社が存在したといっのだ。

「そのうち、私の所にも営業が来ましてね。H社だったかな?確かに相場より安かったんで、頭蓋骨の標本をー個買いました。購入記録に住所が残ってますから、行ってみたらいかがですか?」

氏の帳簿によれば、H社は新宿の雑居オフィスに居を構えていたらしい。とりあえずビル管理会社へ間い合わせてみよう。

「あー、Hさんは5年前にテナントを降りてますね。事業に失敗したと聞きましたけど・・」

次に、ダメ元で標本購入者専用のフリーダイヤルをプッシュ、電話口に現れた責任者の男性に用件を伝えたところ、

「H社ですか?あそこはいま休眠状態ですよ。連絡先をお教えしましょうか」

何でも、責任者氏はH社の元代表である上沼氏(仮名)と長い知り合いで、この番号も彼から譲り受けたものだという。教わったメールアドレスに取材依頼を送ってみた。返事は期待していなかった。

しかし、『お間い合わせありがとうございます。ただいま私的な事情で自宅から出られませんので、メールでお話したく思います」

『実は、当時の商品画像が残っているんですよ。それから見ていただくことにしますか

氏が送ってきた添付ファイルは、茶褐色の頭骨を撮影した画像データだった。小ぶりな顎とキレイに生えそろった永久歯。全体的に、かすかな湿り気を帯びているようだ。それは脂肪分です。死体の洗浄が甘いと残ってしまうんですね。最初のうちは、虫が湧くこともあって苦労しました」

氏が死体を扱い始めたのは1983年のこと。自ら立ち上げた医療器具の販売会社を拡大すべく、国内で珍しかった骨格標本に手を出したといっ。

『本物の人骨を使った標本は、それまで数百万もしたんです。でも、死体の入手から輸出まで自分でやれば、ー体数十万ほどに値段を抑えられるんじゃないかと」死体の入手に向かったのは、インド南部のビハール州に建つ病院だった。世界で最も貧しい土地のーつで、州の産業として死体販売が行われている、いわくつきのエリアだ。料金は1体約400ルピー(約800円)。大半は40代の中年男だが、中には10代前半の若い遺体もあったらしい。『ほとんどの死体は、内臓を抜き取られた状態でした。事前に臓器売買の業者が持っていったんでしょうね』

素材が手に入ったら、病院内で遺体の解体作業に移る。まずは日本から持ち込んだ花王のバイプスルーを水槽に注ぎ込み、その中に放置。時々、竹竿で突いて沈めながら数時間ほど待つ。次に、引き上げた遺体の筋肉をピンセットでつまみ、溶けた部分からハブラシやカミソリでこそげ落とす。最後にもう一度水槽に沈めて漂白すれば完成だ。「慣れるまでは吐き気との戦いです。塩素の臭いが体わりついて、死体から塩素系洗浄剤を洗い流し、全身に薬品の臭気がこびりつく。噂と全く同じ光景ではないか

「確かに、噂は私から広まったのかもしれません。実は、遺体洗浄員募集の広告を出したことがあるんです。スポーツ新聞の三行広告に小さくですけどね。大声で人に言える仕事ではありません

NHK

、NHKの受信料と地域スタッ
フの仕事について説明しておこう。
受信料は、①カラー契約Ⅱ月額139
5円と②衛星カラー契約Ⅱ月額2340
円、それに新幹線の線路沿いや山の中な
ど難視聴地域が対象の③特別契約Ⅱ月1
055円の3種類。いずれも2カ月に1
度の徴収で、口座振替の場合は月印円ず
つ減額される。
集金は地域スタッフが行い、仕事内容
で4つに分かれている。
①総合スタッフ
よく見かけるカブに乗った集金のおじさ
んがコレ。それぞれ一定のエリアを担当し、
集金や新規契約などすべての業務を行う。
②対策スタッフ
受信料を支払ってない家庭を訪問し、ひ
たすら新規契約を取る。契約したものの受
信料を滞納している人からの集金も担う。
③衛星ふれあいスタッフ
カラー契約から衛星カラー契約への変
更をお願いする専門スタッフ。
④収納ふれあいスタッフ
過去に何度か受信料を払ったことがあ
る人からの集金。
この中で、オレが採用されたのは②の
対策スタッフ。6カ月の「試用期間」は
固定十歩合給で、新規契約を1件取れば日給8千円。2件以上なら1件につき1
千円プラスされ、ゼロの場合は無給だ。
試用期間後、本契約になれば、歩率の
いい完全歩合制で年収500〜700万
ほど。悪くはない。
ちなみに、受信料を払うのは国民の義
務。『放送法』なる法律ではテレビを設
置した時点(インターネットなど放送の
受信以外に使用の際は除外)でNHKと
受信契約をする義務があると定めている。
幸い、我が町には短大や専門学校を含
め学生が多いことに加え、工業団地もあ
るから人の出入りは激しい。そういう連
中をマークすれば、意外に簡単に契約が
取れるのかもしれない。
が、|方で受信契約や受信料を納める
ことを強制すると、憲法旧条の〔思想及び
良心の自由はこれを侵してはならない〕
に抵触するという意見もある。払わない
からといって罰則があるわけでもない。
よって、NHKの受信料は厳密には公共
料金と同等のもので、公共料金とは言え
ないのも事実。さて、いったいオレはど
れほどの契約が取れるのか。とにかく1件取らないことにはタ
グ働きだ。オレは焦りまくった。
この日強烈だったのは、夜7時を過ぎ
て対面できたパンチ頭のオッサンだ。歳
の頃は如代半ば。ドアを開けるといきな
り凄んできた。
「受信料だと?なに眠いこと言ってん
だ。全国民が払ったらオレも出すから証
明書持って来い!」
「::・・:0」
結局、1件も取れず午後、時に帰宅し
た。もし明日も取れなかったら…。不安
で眠れなかった.
翌日は土曜。班長によると、週末は稼
ぎどきらしい。気合いを入れ、在宅率の
高い午前中に学生アパートを回る。
「おはようございます。NHKですが」
「はlい」
旧軒目でドアが開いた。見るからに初々
しい女学生だ。
「受信料の件でお伺いしたんですが、大
家さんからお聞きになってませんか」
「一え?」
「通常は年間1万6740円かかるんで
すが、学生さんは帰省される期間がある
ので4カ月分控除されるんですよ」
規定にある通りの事柄だが、人間は得
する話に弱いもの。5千円安いことで相
手が心を動かすのではないかと、殊更に
強調した。
読みは的中。女子学生は迷うことなく契約書に八ン.を押した。よし、この作
戦、イケるぞ。
調子に乗り昼飯も摂らず次から次へと
チャイムを鳴らす。が、天気がいいせい
か留守ばかり。やっと次の契約が取れた
のは夜旧時を回ってからだった。
「遅くまでご苦労さん」
財布を取り出しながら、若奥さんが優
しい言葉をかけてくれた。疲れが少し和
らいだ。
明けて日曜も朝から学生を狙った。が、
朝寝坊か居留守なのか、信じられないほ
ど応答がない。厳しい1日になりそうだ。
夜の7時過ぎ、コジャレたコーポのチ
ャイムを押す。
「八lイ、何デスカ?」
反応はマトモだ。
「NHKの受信料ですが」
「ナニ、日本語ワカラナイ」
ドアを開けてくれたのは、中国からの
女子留学生だった。こんなこともあろう
かと、事務所から持参した中国語のパン
フレットを手渡す。
「申し訳ありませんがここにサインして、
2970円いただけないでしょうか」
「ハイ・イイデスヨ」
あっさりだった。中国系留学生は金持
ちが多いと間いていたが、本当らしい。
とにかくこれで8千円が確保。うれし
くなり、思わずコンビニで買った缶コー
ヒーをプレゼント(本当は禁止)。

珍獣・熱帯魚の密輸という運び屋仕事

密輸、と聞いて読者のみなさんはどんな物を思い浮かべるだろう。

マリファナ、シャブ、拳銃といったところか。だか外国かり持ち込んではいけないモノ〉は他にもある。例えば動物。ペットショップじゃ買えない珍種は、今やクスリやチャ力同様ヤバイ。

現在、絶滅の危機に瀕した野生の動植物は、CITES=(サイテス。ワシントン条約の別称)の定めにより、世界130カ国もの間で輸出入・商取り引きが制限されている。

一方、こうした超レアものを欲しがるマニアは数多く、種類によってはー匹で数百万、数千万円もの大枚をはたく輩も少なくない。そんなわけで日々、税関の目をかいくぐって密輸されている動物だか、いったい誰がとのようにして、またいくらでこの運び屋仕事を請け負っているのだろう。実は、その多くがペットショップの人間、あるいは店側に頼まれた一般人である。

A氏は食材専門の商社に勤めるサラリーマンだ。ペット業界で“力ツギ屋“とも呼ばれるこの仕事をなぜやるようになったのか、どんな方法で密輸し、いくら報酬を得ているのか。包み隠さず、すべてを報告しよう。

もし見つかっても、「中身は知らなかった

熱帯魚専門のペットショップを経営する飲み仲間、酒井に誘われたのが、そもそものきっかけだ。
「米ちゃんってさ、たまに仕事でマレーシアとかタイに行ってるでしょ。ちょっと頼みがあるんだけどな」

「ああ、何でもいってくれよ」

酒井の依頼は、現地からアジアアロワナの稚魚を5匹持ってきて欲しいというものだった。

「向こうにオレの友達がいて全部手はずは整えてるから。米ちゃんはそのバッグを持ってくるだけでいいの。大丈夫、何度もやってるかり絶対バレないって」

アジアアロワナ。中国では龍魚と呼ばれ、幸運を招くとして珍重されるこの魚は、シーラカンスをほうふつさせるシェイプとその独特の光沢で、日本でも熱狂的な人気を博している。

「で、持ってきて欲しいのか、コイツ。カセイキンリュウ

酒井が奥の棚を指さして言う。見れば、そこには青銅色のウロコをギラつかせながら悠々と泳ぎ回るアロワナの姿か。水槽の表面には「超特価、95万ー」の値札が付いている。彼の話では、かつてアジアアロワナはもっとも規制の厳しいサイテス(輸出入禁止。学術目的の場合のみ可)に指定されていたが、現在では養殖モノに限ってサイテスつまり政府の許可を添えた場合のみ商取り引きができるようになったという。

アジアアロワナにはいくつかの種類があり、中でも一番人気はマレーシアゴールドと呼ばれる過月金龍。ただ、同じ金龍でも養殖モノがいいとこ50万円ほどにしかならないのに対し、発色のキレイな野生種は価値が高く特に青みがった藍底渦背金龍、通称キメラブルーは、高いもので200万もの値がつく。これを現地で安く買い付け、ボ口儲けしようというのかヤツの魂胆だ。

「ー匹で5万やるよ。な、いいだろ。もし見つかっても、中身は知らなかったって言えばいいから。オレが責任持つよ」

そこまで言うのならオマ工が行けばいいだろうとツッコみたくなるか、何でもこの男、旅行と偽って東南アジアに飛んではさんざん密輸を働いてるため、税関からマークされかかっているらしい。まあ確かに、現地でブツを受け取って帰ってくるだけでー回25万はワルクない。しかも、万一捕まったとしても、知らぬ存ぜぬで通し、酒井を“売る“ことで無罪になれるのだ。ちょうどいい小金儲け、と考えるのもアリかもしれない。悩んだ末、私は彼の申し出を受けることにした。
稚魚用の水槽は力メラのレンズケース
2週間後、私はマレーシアの首都クアラルンプールにいた。会社の仕事存終え、あとは昼の便で帰るだけとなった出発日の朝9時。酒井から言われたとおり、ホテルをチェックアウトする直前に、教わった電詰をかけた。と、15分と待たないっちにホテルの部屋に日本人男性が現れた。尾崎紀世彦を小汚くしたような、見るかりに怪しいオヤジだ。「酒井から話は聞いてます。じゃあこれ。中開けたらマズイんで、それだけは頼むで」関西託りの男が差し出したのは、力メラ用とおぼしきハートケースだ。ちょうどー眼レフが2、3個入るくらいか。

「たぶんコレ、4・8キ口くらいと思うんやけど、必ず機内持ち込みにしてや。預けると(成田に)着いても時間食うてまうやろ。アンタの荷物も合わせると2個になってしまうけと、テキトーに言い訳つけて・・」

不安気な私に、男は面倒くさそうな顔で言う。

「力メラですっていっておいたらいいよ。趣味で撮ってるんですって。何も心配要らん」

持ってみると、ややずしりとは感じるものの、決して重たいといっほどのものではない。

「じゃあ、金もらおうかな。酒井かりもらっとるやろ」「あ、これですかね」

酒井から預かった封筒を手渡すと、男はそそくさと部屋を去っていった。男がいったいどんな人物で、酒井からいくら報酬をもらったのか。箱の中身はどんな仕掛けになっていたのか。そんなことはいっさい聞かなかった。いや、聞けない雰囲気だったといつべきか。箱をすべて知ってしまうと、かえって怖じ気つきそうな気がしたのだ。果たして、私はそのケースで難なくマレーシアの空港の荷物チェックをすり抜け、その約5時間後には成田空港の税関をパス。到着ロで待っていた酒井にフツを手渡し、翌日、4匹分の運賃20万(ー匹は死んでいたそうだ)を受け取った。

問題のバックの中には、ケースに見せかけた水槽3本と酸素袋、それに力ムフラージュ用の力メラが入っていたと酒井から聞かされたのは、それから数週間経ってからのことだった。
こうして、私は数力月に一度、マレーシアへ出張するたびにこの副業をこなし、毎回10-30万円を手に入れるようになる。稚魚を入れるための筒は、レンズケースだったり、釣竿の口ッドだったりとバリエーションに富んでいたが、バレるどころか怪しまれることさえなかった。ちなみに、酒井によれは、カツギ屋も運ぶ動物の種類によって、運び方がかなり違うらしい。

同じアロワナでも、現地で捕獲した野生モノにチップを施し(輸出用の養殖モノには、魚の体内にマイクロチップが埋め込まれる)、養殖モノと偽って堂々と輸入するなんてのは常套手段とのこと。聞くだけで体中がかゆくなるような話も聞かされた。サイテス2に指定されたイントホシカメやマダガスカルホシカメは、タイやマレーシアの市場ではー匹300円ほどで売られているが、日本に持ち込めは5-10万の値がつき、かなりの利幅が見込める。

そこで、力メに麻酔を施し、背中や足、パンツの中などにテープでグルグル巻きにし、中で匂わないように強列な香水を付けて飛行機に乗り込むといつ。猿の場合はさらにキョーレツだ。イントネシアのスマトラ島でよく捕獲されるオランウータンを密輸する際は、ちょうど背骨が重なるように背中に張り付けて入管チェックを通るそうだ。何でも、暴れ出さないよう一定時間おきにバナナを与えるのかボイントらしい。
ここまでくるともはや笑い話にしか思えないが、そこまで体を張れるのは扱いを熟知したショップ関係者か熱心なマニアだけ。最近では、海外の食料品を個人輸入して売る業者が、タイやマレーシアのペットショップや市場でブツを安くまとめ買いし、自分の商取り引き用の荷物に混ぜて帰国…といった例も少なくないという。

ただ、苦労して密輸した動物たちも最終的に売りさばく先はやはりソレ専門のペットショップ。結局は、ショップの息かかかった、あるいは店主とコネクションを持っているなど、販路に関わることのできる人間が小遣い欲しさに手を染めていると考えていいだろう。

★輸出入禁止動物の輸入は、国際問題に発展するだけあって、その罪は軽くない。

摘発された場合は、外為法関税法種の保存法などの罪に間われ、懲役ー年以内か40万以内の罰金に処せられる。

※この記事はフィクションです。防犯、防衛のための知識として読み物としてお読みください。実行されると罰せられるものもあります。

写真週刊誌記者と言う仕事

ある高校の校門前。どこにでも
ある下校風景の中にボクはいた。
「あの、ちょっといいですか?」
「。・・・:」
マジメそうな女子高生に声かけるが完全に無視。
「すいません、少し時間ありませんか?」
続けて声をかけた、高校球児風の丸坊主は途端に迷惑そうな顔になった。
「そういうのに答えるなって言われてるんスよ」
生徒たちにキャッチのごとくかけ、1時間が過ぎようとしている。ボクはしだいに焦りを感じ始めていた。

地方の公立H高校で男性教諭Sが女子更衣室にビデオカメラを設置、着替えシーンを盗撮するという事件が発覚した。
その「盗撮教師」の写真を入手することこそ、ボクがここにやってきた目的なのだ。写真週刊誌の記者になって初めての仕事だった。
「キミたちS先生の写真なんて持ってない?」

スカートの下にジャージという奇妙な姿のコギャル3人組に声をかけた。
「まだいたのぉ、しつこくない?」
「持ってても貸さないよ-だ」
「あ、アタシ、100万くれたら貸してあげてもいいよぉ-」
ゲラゲラ笑いながら立ち去るコギャル。完全におちょくられている。事件はワイドショーやニュースでも取り上げられ、生徒たちはマスコミの取材に対してすでにウンザリしているのだ。
それにしても、なんであんな小娘にまでバカにされなけりやいかんのだ。立ち去る彼女たちの背中を見送りながら、ボクはこの仕事を続けていけるのか不安になっていた。

それを遡る数カ月前。ボクはあるテレビ番組のADをドロップアウトした。奴隷同然の扱いと労働基準法を無視した激務の連続に音を上げたのだ。元来へタレのボクにしてみれば当然の結末である。かといってこの不況の世、次の仕事が簡単に見つかるほど甘くはない。すっかりプータロー生活を強いられ、マンガ喫茶に入り浸っていると、さらにキビシイ現実が叩きつけられた。
5年付き合ったカノジョからあっさりフラれてしまったのだ。

昼間から家でゴロゴロ「笑っていいとも」を見ながらオナラ、ブー。これでは見捨てられるのも仕方がない。
仕事もダメ、女もダメ。何をやってもダメダメ。こうなったら、しばらくインドにでも行って人生とやらを見つめ直そうかと悩んでいた矢先、ある情報が飛び込んできた。
週刊誌が取材記者を募集しているというのだ。良くも悪くも日本中に話題を提供する有名雑誌である。
何やら刺激的な体験ができそうだ。ボクはほとんど好奇心だけでこの話に飛びつくことにした。

ベテランKカメラマンと2時間近く声をかけまくっただろうか。ようやく写真を提供してくれるというヤンキー風の生徒を捕まえた。

「Sの写真か、いくらくれるの?」

やはりカネが目当てである。

盗撮テープの上から部活の練習をフォーム研究のため練習風景をよくビデオに撮っていたのだが、ある日練習後にビデオを見ながら部員とミーティングをしていた際、 一瞬、女子更衣室の映像が見えたという。

それを不審に思った生徒たちが校長に報告して今回の事件が発覚したらしいのだ。

盗撮テープの上から部活の練習を撮影するとは何ともお粗末な話である。

テープをケチらなければバレなかったのに・・

何はともあれ、顔写真もゲット、生徒からの証言も取材できた。

もう十分だと思っていたボクは正直驚いた。さらに事件の当事者に迫る取材が必要らしい。

「次は自宅に直撃取材するし かないわな」 
そこまでやんなきゃいけないのかと思いつつ、カメラマンと共に自宅へ。何度もチャイムを押してみたが一向に返事はない。 しかし、電気メーターはかなりの スビードで回っている。

冷静に考えれば、こんな件でわざわざマスコミの前に姿を現すわけがない。仕方なく自宅 の写真だけでも撮影しようとカメラマンがフラッシュをたいたその瞬問、突然ドアが開いて男が飛び出してきた。

「何撮ってるんですかー」 

「なんだ、いるじゃないですか」

ボクは名刺を差し出して取材したい旨を伝えた。男は身内の者だという。なるほど。生徒から入手した写真にどこか似ている。

「本人も反省しています。それ以上は警察や学校の方におまかせしていますんで…」 ま、それが限界。身内にしてみれば精一杯だろう。礼を言って立 ち去ろうとすると、男が恐る恐る切り出してきた。

「顔写真とかも掲載されちゃうんですか」

「そりゃ出ますよ。罪を犯したわけだから」

「何とかなりませんか」

「イヤ、なりませんね」 

突然、男は裸足のまま玄関から飛び出て、ひざまずくと、両手を地べたに付いた。

「お願いしますー写真だけはー」

こんなに力を込めて土下座をされるのは初めての体験だ。何ともいえない気まずさが体を撃つ。

「頭を上げてくださいーやめてくださいよ」

「え?それじゃ…」

男が一瞬うれしそうな顔をしてボクを見上げる

「記事にはならないということですか」

「そんなことは約東できません。 こうして事件にもなっているので取り上げないわけにはいきませんよ」

男はうっすらと涙を浮かべながら訴えた。

「彼にもこれからの人生があるんです。名前や顔が世間に知れたら次の仕事も見つけられない、生きていけませんよー」

「仕方ないでしょ。悪いことをしたのは5さんなんですから」

「顔写真まで掲載しなければいけ ない理由があるんですかー」

どこまで行っても平行線である。 
ボクは男の訴えに耳を貸さず自宅を後にした。 初仕事は終了。盗撮教師5の顔写真。盗撮を発見した生徒たちの証。家族のコメント。記事としては十分だろう。

しかし素直に喜べない。女子更衣室の盗撮という罪を犯した5。 その代償として教師という職業を奪われるのは当然としても、全国誌に顔写真まで掲載され、社会的制裁を受ける必要があるのだろう か。ようやくボクは自分の認識の甘さに気づき始めていた。 
被害者が美人じゃないから 記事はボツ 

写真週刊誌は当然ながら写真が ないと始まらない。そこで芸能人 や政治家のスキャンダルを撮るた め展り込みなどを行うのだが、 いかんせんボクがいるのは事件班 だ。殺人事件の決定的瞬間などはまずお目にかかれない。 唯一、犯人が逮捕されて連行され る瞬間などがこれに当てはまるのだろうが、あいにくこれはカメラマンの独壇場。素人のボクがプラプラして撮れるというものではない